■赤岳(標高2899m) 2008年9月12日~13日

八ヶ岳(やつがたけ、八ケ岳とも表記される)は、長野県の諏訪地域と佐久地域および山梨県の境にある山塊。南北30km余りの山体で、大火山群である。日本百名山の一つ。「八ヶ岳」は長野県と山梨県にまたがる山塊の総称であり、山そのものに八ヶ岳と名付けられた山は存在しない。

「八ヶ岳」の由来は、「八百万」などと同じように、山々が多く連なる様子から「たくさん」という意味で「八」としたとも、幾重もの谷筋が見える姿から「谷戸(やと)」にちなんで名づけられたとも、文字通り八つの峰に見えるからとも、複数のいわれが存在する。

2007年、日本の地質百選に選定された。

概要
赤岳を最高峰に横岳などで構成。その山容は、夏沢鉱泉と本沢温泉を結ぶ夏沢峠を境界として、北八ヶ岳と南八ヶ岳に大きく分けられる。北八ヶ岳の方は、樹林帯が山稜近くまで続き、また比較的なだらかな峰が多く、湖沼も点在する。それに対して南八ヶ岳は、主峰の赤岳をはじめ、横岳・硫黄岳・阿弥陀岳の鋭い峰々や、横岳西面の大同心・小同心に代表される岩峰群などがあり、急峻な地形となっている。このため、日本有数のロック・クライミングの岩場があることとして知られ、また冬場は氷瀑のアイス・クライミングでも知られる岩稜が中心となっている。このように、南北の山容は対照的である。なお、狭義では南八ヶ岳のみを八ヶ岳と言うことがある。日本百名山の八ヶ岳とはこの狭義の山域を指す。八ヶ岳連峰では他に蓼科山も日本百名山に選ばれている。

この一帯は、火山地帯のため、多くの温泉を有している。火山としての八ヶ岳は歴史時代、確実な噴火記録は残っていないが、888年に北八ヶ岳の天狗岳が大崩壊を起こし、その結果、松原湖 (長野県)などの湖が誕生したことがほぼ確実視されている。大崩壊の原因は噴火とも地震とも言われているが、地震、噴火とも今もって全く証拠が見つからず、大きな謎になっている。また歴史上の記録には残っていないが、北横岳には地質的に新しい溶岩噴出があり、最近の研究では600~800年前の噴出と見られている。

広大な裾野は、東側の清里高原や野辺山高原、西側の富士見高原や蓼科高原などで知られている。夏の冷涼な気候を利用してレタスやキャベツなどの高原野菜の栽培が行われている。

山麓には伏流水が湧くため、特に西南側の裾野一帯にかけて縄文時代の遺跡が濃密に分布する。長野県側では井戸尻遺跡や尖石遺跡が知られる。山梨県側では縄文草創期の神取遺跡(北杜市、旧北巨摩郡明野村)や青木遺跡をはじめ、諸磯式期の天神遺跡(旧大泉村)がある。縄文中期には拠点集落が山麓地域から甲府盆地へ移るが、八ヶ岳山麓でも敷石住居群が見られる上ノ原遺跡がある。縄文後晩期には全域的に遺跡数が減少するものの、金生遺跡(旧大泉村)は集落跡と祭祀施設が複合した遺跡で、縄文時代の精神文化が現れた配石遺構が見られる。

動植物
植生は、海抜1,700-800m以下が落葉広葉樹林、海抜約2,500m以下が亜高山帯針葉樹林、それ以上がハイマツ帯となっている。西岳の海抜1,700m付近の一角には、希少種のヤツガタケトウヒが自生している。かつては生息していたライチョウは、ハイマツの減少や登山客によるゴミの放置によるキツネなど肉食獣の増加により、八ヶ岳一帯では絶滅したものと見られている。

北八ヶ岳の縞枯山や蓼科山・北横岳では、縞枯れ現象が見られる。 縞枯れは、亜高山帯針葉樹林のシラビソ・オオシラビソが帯状に枯れ、その縞枯れの帯は、山頂に向かって長い年月をかけ移動していく現象である。遠方からは、山の斜面に何列もの白い縞に見える。


神話
八ヶ岳には「富士山と背比べをして勝利、しかし富士山に蹴り飛ばされて八つの峰になった」という神話がある(「蹴り飛ばされた」の部分はその他にも説がある。例えば、背比べの際に用いた筒、すなわち富士山と八ヶ岳との間にかけて水を流し、どちらに流れるかを調べるのに用いた筒を持って富士山が八ヶ岳を叩いたなど)。また、同神話では蓼科山は八ヶ岳の妹で、八つの峰になった八ヶ岳を見て泣いて、それが川になり溜まったのが諏訪湖とされている。

この話には、すべてが嘘ではなく、もともと富士山より高かった八ヶ岳が噴火、あるいは地震によって崩壊し、現在の形になった、という解釈がなされている。




【公共交通機関へのリンク】
諏訪バス

【ライブカメラへのリンク】
八ヶ岳、赤岳天望荘






1日目
茅野駅(諏訪バスAM10:20)→美濃戸口バス停AM11:14→美濃戸山荘PM0:20→行者小屋PM2:52→赤岳山頂PM4:38→赤岳展望荘PM5:30→行者小屋PM6:05(テント泊)

2日目
行者小屋AM6:45→美濃戸口バス停AM9:10(諏訪バスAM9:34)→茅野駅AM10:28




茅野駅に到着です
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バス停は駅(2Fに出口がある)を降りて右下にあります。
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美濃戸口バス停に到着しました。
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バス停の向かい側(道路をはさんで)に登山道があります。
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このような道が暫く続きます。
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途中で道が分岐しています。なにも道しるべがありません。持参した地図には分岐してるところまで細かく載っていなかったので少し悩みましたが、こういう場合には、おそらくどちらに進んでも交わるだろうと判断し、左に進みました。結論的には正解でした!ただ、直ぐに道が交わらないので、かなり不安になりましたが(・・;
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やまのこむら という建物を通過します
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左手に大きな駐車場がある場所を通り過ぎます
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橋を渡ってさらに進みます
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美濃戸山荘に到着です
なななんと、ここではお茶が無料で提供されているのです。ジュースが売れなくなるだろうに・・・ こういう懐の深さにはすごく感動です!!
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美濃戸山荘からが登山本番です。ついに林道ともおさらば・・・北沢と南沢の分岐は美濃戸山荘から20mぐらい登ったところにあります。
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幾度となく、このように沢を横断しながら頂上を目指します
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おっ!で~た~ 赤岳だっ~!
高っ!と思う一方で、ここまで登山らしい登山をしている感じがなく(=道がかなり緩やかだったという事)、そのツケがあそこに集約されてるんだな~って感じがしました。 
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行者小屋に到着です。
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テント場は小屋から直ぐのところにあります。(ほぼ目の前)
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行者小屋から望む赤岳
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テントを速攻設営後、サブバックにて頂上に向け出発です。
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頂上へのルートは文三郎道を選択したのですが、鉄製のえらい急な長い階段があるし、急に登山登山って感じです。ちょっと、行者小屋までの登山とのギャップが大きいんじゃない?まぁ、頂上近くになってきたんだという感覚を体で感じることが出来るので、苦しくても、心底、嫌という訳ではないんですけどね・・・
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行者小屋も随分と下に・・・
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まもなく権現岳と交わる分岐点に到着です
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最後の登りはマジ大変でありました!
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山頂まであと5分とな!
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登ってきた道を振り返ってみると、ヒィー、こんなとこ登ってきたんかぁ~信じれん・・・
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おっ!山頂が見えた~!
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頂上は、めちゃくちゃ狭い!今まで登った山の中で一番狭い。
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山頂から
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やばいやばい!何がって・・・、今日は行者小屋泊まりで、日の入りが18時頃だというのに、今、17時!急いで下山しなければ・・・
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赤岳展望山荘に到着
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赤岳展望山荘からの赤岳
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地蔵ノ頭で左折して下る しっかし、こっちもきつい下りだ~
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やっと、行者小屋に到着だぁ~ もうあたりは真暗になるほんの手前。このあと10分ほどで真暗になりました。ヘッドライトは念のため持参していたものの助かった~
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翌日は、7時少し前から行者小屋から下山を始めました。登っていたときには気づきませんでしたが、下っている最中、ヘリポートがありました。登りの場合には気づきにくい死角になっているのです。
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なんだか歩いていて非常に気持ちの良い森の中を歩いてゆきます。トトロかなにかの世界のようで癒される~(笑)
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赤岳(標高2899m) 2008年9月12日~13日 完

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